ストーリー

1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。

私は瓦礫の下敷きになり、大怪我を負い、命を落としかけました。その瞬間の記憶は、今でも決して消えることはありません。避難所での生活は想像をはるかに超えるもので、テレビで映し出される「整った避難生活」の映像とは大きくかけ離れた、過酷で悲惨な現実がそこにありました。

遺体が次々と避難所に運ばれ、その傍らで数日間を過ごすこともありました。ある夜、眠っていた私の足を誰かが引っ張るような感覚に襲われ、凍りつくような恐怖に震えました。幸い、友人と身体を紐で繋いでいたことで、命を守ることができたのです。

もしあの紐が無かったら――。そう思うたびに、今でもフラッシュバックが起き、眠れない夜があります。

女性や子どもたちは、夜中にひとりでトイレに行くことすらできませんでした。プライベートなどというものは存在せず、家族がまだ瓦礫の中に取り残されていると信じ、避難所に行かず捜索を続ける人もいました。余震のたびに、避難所には叫び声が響き、パニックに陥る人も少なくなかったのです。

暖をとる手段がなく、公園や空き地で避難せざるを得なかった人々の中には、凍死された方もいました。

私は、そのような現実の中で強く思いました。

――「もし自分に、アウトドアスキルやサバイバルの知識、経験や知恵があれば、助けられた命がもっとあったのではないか」と。

その思いを胸に抱き続け、年月が過ぎたある日、大庭秀樹氏のInstagramと出会いました。投稿の一つひとつから、“他とは違う、本物”の気配を感じた私は、すぐに連絡を取りました。

「スポンサーになります。災害に備える活動を一緒にやりませんか」

そう申し出た私は、スポンサーとなり大庭氏のもとで修行しながら、【野塾】の運営をしています

あの震災の経験は、私の人生を大きく変えました。

そして今は、その体験を、誰かの命を守る力へと変えていきたいと、心から願い、行動しています。

ひとつ、はっきりしていることがあります。

一つの街が被災すれば、行政もまた被災している。

つまり、自分の命を守れるのは、自分しかいないということです。